校長室から

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校長 阿久津正子


ルームプレート(児童作品)

代々伝わる屏風と校旗
 


3月
贈る言葉
久我の山に抱かれて
   山に憧れ 山と成れ
立派な態度で別れの言葉
    平成20年度
 卒業生 7名
特別来賓 柿沼康二様 和久井サタ様寄贈
  柿沼康二作品「風花」


3月は去る月というけれど、追いかけるように日は過ぎて行きました。30年以上学校に勤めていても、3月の忙しさを克服できていません。そんな忙しさを縫って、学校の最大イベントである卒業式に向けて着々と、行事は進んでいきます。卒業生を送る言葉・別れの言葉・式歌の練習、六年生を送る会、卒業を祝う会、卒業記念制作…。この一つひとつの小さな営みが6年生を大きく成長させ、後に続く5年生をしっかりさせるのです。


卒業生は、全部で7名。なかなか声が出ない子も、卒業式が間近になるころは、大きな口を開けてしっかりと声を出せるように成っていました。大きな体育館に声が響き渡るように、7人一人ひとりががんばりました。6年生の落ち着いて凛とした態度に触発されて、1年生から、5年生まで、更に、上手になりました。「感謝の気持ちを態度で表そう」が、合い言葉です。


故和久井サタ先生の寄贈品が、卒業式を前に、学校に届けられ始めました。会議室の机やテーブル、校舎全室に掛けられた真新しいカーテンそして、柿沼康二先生に依頼した「書」。届いた書は、「風花」。淡墨で書かれたその作品からは、やさしさ・あたたかさ・そして秘めた強さもあって、一足早く、久我小学校に「春」がやってきたようでした。


そして、またまた驚きのニュースです。柿沼康二先生が、久我小学校の卒業式に来てくださるというのです。学校中が喜んで、子ども達の練習も力が入って、みんなで待ちに待ちました。いろいろな人を介して、和久井先生からでた真心の贈り物が、柿沼先生を介して、久我小学校にやってくることの不思議さを感じました。


3月19日の卒業式は、暑いくらいに晴れ渡った素晴らしい日となりました。地域のご来賓の皆様と、特別ご来賓の柿沼康二様と、スタッフの小野崎様にご臨席を頂いて、厳粛のうちに卒業式が行われました。卒業生7名と在校生23名。小さい学校の大きな卒業式であったと思います。子ども達は、感謝の心を態度で表すことを、
立派にやり遂げました。私からは、「久我の山に抱かれて 山に憧れ 山と成れ」と言う言葉を贈りました。久我の自然が皆の心や、感受性を育ててきた。自分がやりたいことや好きな物に憧れて、いつかは、皆に恵みをもたらす山のような存在となって欲しいことを山に例えて話しました。職員からの贈り物、スクリーンに映し出された「思い出のアルバム」は、子ども達の大きな成長を映し出し、会場の感動を誘いました。


卒業式後、和久井サタ先生からの寄贈品の紹介を行いました。そして、「風花」の作者、柿沼康二先生より、卒業生にメッセージを頂きました。柿沼先生は、「風」は男の子、「花」は女の子をイメージして書いたことやこの作品を作るのに、3日間寝ずに同じ大きさで200枚もの枚数を書いたことを話されました。素晴らしい活躍をしたり、ものを生み出したりする人は、それだけの努力や勉強をしているのだということが驚きでした。そして「憧れる山を持ってください。好きなことは続けられる。自分の好きなことを大事にしてください。」と話してくださいました。また、「縁」についても話され、「和久井先生の心が、校長に伝えられ、私の所へ来て、作品が久我小に届き、私が今、久我小の卒業式に来ていること、縁だと思います。」と話されました。同感です。この縁を久我の地域にどう生かしていくのか…少し何かが動き始めましたよ。
2月            


 官僚の天下り行為を渡り鳥にたとえて、「渡りをさせるな」「渡り禁止」…と、 世間では、「渡りアレルギー」が起きている。毎日のように連呼される「渡り禁止コール」に、苦笑している複式学校は少なくないはずだ。
  久我小学校は、1つの教室にいる2つの学年を1人の教師が見ている。いわゆる複式学級である。複式の学習の指導用語に、「渡り」があるが、教師が2学年間を渡り、どちらの学習も成立させるという高等テクニックをいう。  


 今年度、久我小学校は、この「渡り」のテクニックをマスターしようと、学校をあげて研究に取り組んでいる。 無神経に連呼される「渡り禁止」は疎ましい。世の中に複式の学校があり、「渡り」の指導技術を身に付けようとがんばっている教師がいることなど、世間は知りもしないのが現状であり、これがマイノリティの辛さである。         

                                                                  
 世間が知っていようがいまいが、そこに子どもたちがいる限り、子ども一人ひとりの成長を信じて粛々と、毎日の指導を続けるのが教師の姿である。久我小も同様で、教師の静かな闘志は、実にたくましく粘り強い。限られた1時間に、2学年分の指導内容を頭に入れ、子どもたちに向かう。自分が伸びていることを実感している子どもはアンケートによると全員であった。拍手である。


 教師は、週ごとに計画を立て、反省や感想を記す。しかし、教師の性か、自分の不足を見つめる傾向が強い。まじめで責任感が強い者が多いのである。11名の久我小の教師や職員たちは、全員が30名の子どもたちの担任である。皆、それぞれの立場で、30名の子どもたちを見つめ、子どもたち一人ひとりの自立を支援している。


 複式の授業は、一人の教師が同時に2学年を見るということで、どうも一般的には不自由さが目につくようだが、物理的に教師の離れる時間帯があることで、自律的(自立的)な学習を訓練する場ともなり得る。大きなことが良いという価値観でのみ見ると、学力不足や、コミュニケーション不足、競争力不足を挙げ、好ましいことではないと否定的な見方になる。


 久我小に来て、子どもたちを見てほしいと思う。明るく、素直で、上級生が下級生の面倒をよく見る。下級生は、上級生に甘えたり、教わったりする。教師の言うことをよく聞き、一生懸命努力しようとする。自分を見つめ、自分の良さや思いを大切に、夢を持ちそれに向かって学ぼうとする子どもたちである。


 少ない人数だからこそ、人との比較で自分の位置を測ったり、損得で物事を見たりせずに、自分の可能性や思いを大切にふくらますことができると思う。そこに、自らの力で、考え、判断し、行動できる力をつけてやれば、洒落たことが言えなくても、付き合うほどに良さが見えてくる、実のある信頼される人となると思う。


 そろそろ、都会発想のものの見方を変える時ではないかと思う。人にもまれながら、人間が失ってきたものは数えられないほど多いのではないか。勝者のように見えて、心貧しいものは多い。賢者のように見えて、さもしいものは多い。大人が自分の生き方を見つめて、今こそ、子どもたちにメッセージを送らなければならないと思う。自分の経験から、本当に伝えたいことを声に出すべきだと思う。

1月
            校長室のお写真  第14代和久井サタ校長先生            


新しい年を迎え、気持ち新たに3学期が始まる。そこに、驚きの知らせが舞い込んだ。昨年の9月に90歳の高齢でお亡くなりになった第14代校長和久井サタ様より、久我小学校に寄贈があるというのだ。和久井元校長先生は、私が駆け出しの教師だったころ、女性校長の先駆者として輝いていた。男社会で苦労された話をお聞きしたこともあった。久我小には殊の外思い入れがあったようで、校長室の歴代校長写真の中に並ぶ和久井先生のお顔をしみじみと見返した。


 久我小が現在に至るまで、多くの校長や教員が熱い思いをこの学校に寄せてきた。その教師のたゆまぬ営みが、久我小学校の歴史を紡いできた。そしてここに通う子供たちや、子どもたちを通わせた久我の人たちの思い出にも、この久我小は大きな存在であったに違いない。今回の和久井先生のご遺志は尊く、頭が下がる。現在の久我小を預かる身にとって、重く誇らしい気持ちになる。


 代理人の方と相談の上、久我小学校のための品を選んだ。その中で、かなり気持ちを入れてこだわり選んだ物が、書家 柿沼康二氏の作品である。柿沼氏の父上が、以前加蘇中学校で教師をしていたことから、縁のある方ということで人選した。柿沼氏のエネルギーを感じる存在感のある書体は大きな魅力だ。


 依頼に際しては、和久井先生が勤められたころからでは、ずいぶん減ってしまった子ども達と、過疎化に逆行する活力が欲しい地域の人々へ、強いメッセージが欲しいことなどを伝えた。柿沼氏は、快く依頼を引き受けてくれた。そして、間もなく、「子どもたちのために作品がんばります。」という葉書をいただいた。今から、納品が楽しみである。